Aゾンプライムビデオなどで古い映画や見ていて、美しい殺陣シーンに少々違和感がある。
忠臣蔵にも幕末の動乱にも「鮮血」「血飛沫」のイメージがつきまとう。テレビの大衆時代劇にあらわれる殺陣は所詮作り物である。日本刀で人を切るということは鮮血が迸る身の毛もよだつ体験のはずである。海外映画でありながらクウェンティン・タランティーノの「キルビル」を観ることで、これは擬似体験できる。クライマックスの雪中の殺陣はまるで吉良邸討ち入りの再現である。思えばかつての東映のヤクザ映画における殺陣は、痛々しいほど肉体を切り刻んでいたものだ。
武士が自裁せざるを得ない場合の手段として切腹があるが、これは介錯がついてまわる。ことに切腹が様式美となった徳川江戸時代には、公式の切腹の場では死に往く武士が上下の前を開き、刀に手を伸ばそうとするその瞬間に介錯人によって首級を落とされる。人間の首が切り落とされるということは、一体どれだけの血液が迸るのであろう。おそらくはほぼ体内の血液のほとんどが噴出することになるのである。
しかしもちろんそのようなシーンを映像化できるはずもなく、これは悍ましい現実として想像してみるだけである。現実はそれほど美しいものではないのだ。

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