2021年5月31日月曜日

10ヶ月ぶりの西新宿


 先日10ヶ月ぶりに勤務先へ赴きました。今後の就労再開に向けたタイムスケジュールを打ち合わせするためです。

久しぶりの西新宿、高層ビル群に新緑が映えて、ボクが最も好きな季節の光景です。

職場復帰は6月中旬の病院での外来受診の後に判断となりました。医師の診断書では週3日程度であれば8時間勤務も可能とのことですが、ボクも会社も9月頃(手術から1年)までは徐々に勤務ウェイトを増やしていく方向で、いきなり無理はしないという点意見は一致しています。

それともう一点

「暇だろ」「暇なんです」ここも意見が一致しました。

2021年5月29日土曜日

ジャン=マルク・ジャレ監督「雨の日は会えない、晴れた日は君を想う」


妻の父のコネでウォール街のエリート銀行家として流されるように生き、妻の死にすら無感覚になってしまった男が、身の回りのものを破壊することで、ゼロからの再生へと向かっていく姿を描いたドラマです。

地位も名声も富も得てはいるが、仕事は空虚な数字を追うだけ。数字の背後にある真実や人間たちの葛藤には何一つ関心を持つこともなく生きていた。そんな時唐突に交通事故で妻が死んだ。しかし彼は妻の死に際して実感もなく、悲しみや感傷も何一つ覚えることができず一滴の涙でさえ流せずにいた。自分は果たして本当に妻を愛していたのであろうか?義父のある言葉と、偶然知り合ったベンディングサービスコールセンターの女性とその息子との交流から、自宅のもの、会社のものなど身の回りのあらゆるものを破壊し、自分の在り処を探しはじた矢先に妻の残した「雨の日は会えない、晴れた日は君を想う」というサンバイザーに貼り付けたポストイットのメモを見つける。

まずもって主演のジェイク・ギレンホールの演技は相変わらず素晴らしい。虚ろな人生、生きている意味と価値観を喪失してしまった都会に暮らす人間の苦悩を暗く落ち込むのではなく、突き抜けた明るさで見事に表現している。全てを破壊し、本当に何も亡くなった中に妻の愛を見つけ出すという、喪失から発見までの物語を演ずるのに彼ほど最適な役者はいないであろう。

暗く悲しいラブストーリーを予想して鑑賞したのだが、実は予想を全く覆す再生と発見の物語であった。

原題は「Demolition(破壊)」。劇中のメモの言葉が邦題になっているのだが、このほうがしっくりくる。国内配給会社のファインプレーである。

この映画結構語れば語るだけ未見の人には謎が深まるだけだと想う。実際鑑賞するまでの僕がそうだった。ユーザー評や評論家の記事を読んでもちっとも実感がなかった。

自販機、サンバイザー、メリーゴーランド

この三つのワードが「Demolition」を軸とした発見と再生のヒントとなる。じっくりと観ていただき何か感じて欲しい。


クリント・イーストウッド監督「運び屋」


 2018年公開作品。退役軍人が麻薬の運び屋を行っていたというニューヨークタイムズの記事に基づき、イーストウッドが脚本を書き監督・主演を務めた作品である。

イーストウッドといえば古くはマカロニウエスタンのスターであり、なんと言ってもダーティーハリーシリーズに代表されるアクション俳優である。壮年期からダーティーハリーなどでメガホンを取って、監督・主演の二役を務めてきた人物ではあるのだが、残念なことに、ボクは「ハリー・キャラハン」シリーズを面白いと思って観たことがなく、「荒野の用心棒」は黒澤明の焼き直しだという評判に観る気が失せ、「夕陽のガンマン」もテレビで観たような観てないような記憶でしかない。

役者としてイーストウッドに興味を持ったのは「ザ・シークレット・サービス」である。かつてケネディ暗殺を阻止できなかったトラウマに取り憑かれ、アルコールに溺れ妻子を失い、老境に差し掛かったシークレットエージェントを演じ、いわゆるアクションヒーローではない等身大の「男」を体現した娯楽作品だ。この映画をぼくが大好きなのは主人公の相棒となるレネ・ロッソの美しい色気とジョン・マルコビッチ演じる悪役の魅力あふれる俳優陣を、ウォルフガング・ペーターゼン監督が絶妙なタクトを奮って超一級の娯楽品に仕上げているところだが、同時にかつて花形エージェントであった男がおいぼれた捜査員として、今目の前にある危機に立ち向かうというストーリーにイーストウッドのようなかつてのアクションスターが挑んだところにあった。

スタローンなんか70を過ぎた今もって、筋肉増強剤で体を作ってジャングルで戦っている。それはそれでいい。

話が大きく逸れてしまったが、そんなイーストウッドは60代から「主演兼監督」という役割を「監督だが主演することもある」に軌道修正してきている。そして彼が撮る作品は大作ではなく、いわゆるローカルでやるようなB級作品、佳作の類であり、「ミスティック・リバー」以来ボクはこのかつてのアクションスターが撮る映画にすっかり魅せられてしまったのだ。

本作「運び屋」は家族を顧みず、娘の結婚式すらすっぽかした外面だけは良い園芸家が主人公。自分の農園が破産した後ふとしたきっかけで麻薬の運び屋となり、この仕事で得た対価でかつて自分が輝いていた環境へ投資をして、ちやほやされる生活にうつつを抜かす。しかし最後に自分に欠けていた最大でもっとも大切なピース、家族を取り戻すために彼は大きな決意をする。仕事は2番だっていい、しかし家族は1番じゃなければいけなかった

ラスト近くに裁判所のシーンで判決を言い渡された主人公に対して、娘が語りかけるシーンで、ボクは不覚にも涙してしまった。例え離れていても、大切なものとは思いがつながるということを、すうっとさりげなく描くイーストウッドの巧みな演出に脱帽した。

個人的には「ミスティック・リバー」のラストシーン、ケビン・ベーコンとショーン・ペンの無言のやり取り(ベーコンが指鉄砲の仕草をして、ペンが知らんぷりをする)と甲乙つけがたいお気に入りの場面となった。

2021年5月23日日曜日

旬のアスパラをいただく


 『今夜は北海道からアスパラを送ってきたので、バターで炒め、塩、コショーで頂こう。それに冷たいざるそばでも食べよう。(元横綱)』

昨日北の富士さんが連載記事に書いていた。北海道出身者で 弟さんが住んでるらしいですから送られてくるのでしょう。

拙宅にも帯広の知人から毎年この時季に送っていただいている。今年も頂戴した。

バター炒めとピラフにして家族で食べた。

2021年5月14日金曜日

健康ということ

健康は本当に大切である。心のそこから思う。


昨年は4月から飛び飛びではあるものの、おおよそで丸々8ヶ月を入院と療養で過ごし、仕事もできず、家族とも離れ離れに過ごさざるをえない。今もその状況は変わらない。

体力もつき、足腰も以前と変わりなく日常生活を送ることができるレベルまで回復したが、まだ復職時期の目処は立っていない。今日の午後勤務先とWEB面談を行い、健康面について現状の報告と確認を実施すると同時に、復職時期についてヒアリングを受け、現況の共有を図るものと思われる。

次週1ヶ月振りに外来受診もあるので、そこでも今日の結果を踏まえて、先々のマスタースケジュール感を確認したい。


病気になったばかりに、家族と離れ、ずっと我慢の日々(さまざまな事情により)

病気になったばかりに、仕事も休職して無収入

病気になったばかりに、不衛生な日常を過ごさざるを得ない(さまざまな事情により)


悲しい、寂しい、生き甲斐がない、精神的なストレスだけが蓄積する。

ストレスの発散は甘いものを食べる以外にないような現状。


生き物にとって健康ほど大切なことは他にない。生活レベルの全てのことにさまざな影響を強く与える。

2021年5月4日火曜日

みどりの日ですが・・・

事実上の外出制限で、せっかくの新録の季節に緑と自然を満喫することができませんね。

 いつ収まるのか、終息をまったく感じさせない感染症禍ですが、せめて青い空と近所の緑でも眺めて心の平穏を・・・

2021年5月3日月曜日

大事な人との忘れられないひととき

世間は大型連休。しかし昨年に続いてコロナ禍の外出自粛が国、自治体から国民に対して要請されている。昨年よりも各地の人出が多いというマスコミ報道のようだが、単に個人的な実感としてはコロナの蔓延については昨年よりはるかに深刻さを増していると思う。昨年の今頃はまだ、すぐに収まるさ、だから我慢して家か自宅の周辺で過ごしましょう、という世間の雰囲気があったような気がする。みなもっと楽観的だった。

僕はちょうど昨年のゴールデンウィーク前に肝炎の治療のため自宅近くの市立の総合病院に入院した直後で、それでも自分の病状を含めて世間ももっと気楽な雰囲気に溢れていたと思う。

その後僕自身は肝硬変による余命診断を受け、夏の終わりまでに脳性の発生と腹水の治療により入退院を2度繰り返し、9月には国内有数の大学病院へ転院して生体肝移植手術を受けることとなった。

長男をドナーとして移植を行うこととなったが、息子の臓器をもらうということに抵抗はありながらも、当時は疲労と苦しさが勝って、手術をお願いするに至った。長男には感謝の気持ちしかない。生きている限り頭が上がらない。また次男や弟、両親など親族の存在無くして命の危機を乗り切ることはできなかったと思う。

とりわけ胸が締め付けられるほど感謝の気持ちを抱いているのは妻に対してである。転院先を必死に探してくれて、術前、術後、現在に至るまで何も先に進めない僕を今日までロードしてくれた。 

先日も感染症による発熱で3日間入院した際も妻は僕の見えないところで僕をサポートしてくれた。本当にありがたい大切な存在だ。

先日51日の退院日 あの日の記憶はずっと楽しい思い出として僕の中に残り続けるだろう。

2人で病院出てお茶飲んで、居候先に到着して荷物を置いてから昼食を買いに出て、一緒にお弁当を食べて、買い物をして駅まで見送った。そんなわずかなことが忘れられない思い出になるほど、妻が大事な存在であることを痛感させられる事象でもあった。


本当にありがとう、彼女に支えられて僕は重い存分仕事ができ、今日まで生きてこれたのだ。これからは僕が彼女の足手まといになるのではなく、彼女をサポートしていく存在として生きていきたい。