2018年公開作品。退役軍人が麻薬の運び屋を行っていたというニューヨークタイムズの記事に基づき、イーストウッドが脚本を書き監督・主演を務めた作品である。
イーストウッドといえば古くはマカロニウエスタンのスターであり、なんと言ってもダーティーハリーシリーズに代表されるアクション俳優である。壮年期からダーティーハリーなどでメガホンを取って、監督・主演の二役を務めてきた人物ではあるのだが、残念なことに、ボクは「ハリー・キャラハン」シリーズを面白いと思って観たことがなく、「荒野の用心棒」は黒澤明の焼き直しだという評判に観る気が失せ、「夕陽のガンマン」もテレビで観たような観てないような記憶でしかない。
役者としてイーストウッドに興味を持ったのは「ザ・シークレット・サービス」である。かつてケネディ暗殺を阻止できなかったトラウマに取り憑かれ、アルコールに溺れ妻子を失い、老境に差し掛かったシークレットエージェントを演じ、いわゆるアクションヒーローではない等身大の「男」を体現した娯楽作品だ。この映画をぼくが大好きなのは主人公の相棒となるレネ・ロッソの美しい色気とジョン・マルコビッチ演じる悪役の魅力あふれる俳優陣を、ウォルフガング・ペーターゼン監督が絶妙なタクトを奮って超一級の娯楽品に仕上げているところだが、同時にかつて花形エージェントであった男がおいぼれた捜査員として、今目の前にある危機に立ち向かうというストーリーにイーストウッドのようなかつてのアクションスターが挑んだところにあった。
スタローンなんか70を過ぎた今もって、筋肉増強剤で体を作ってジャングルで戦っている。それはそれでいい。
話が大きく逸れてしまったが、そんなイーストウッドは60代から「主演兼監督」という役割を「監督だが主演することもある」に軌道修正してきている。そして彼が撮る作品は大作ではなく、いわゆるローカルでやるようなB級作品、佳作の類であり、「ミスティック・リバー」以来ボクはこのかつてのアクションスターが撮る映画にすっかり魅せられてしまったのだ。
本作「運び屋」は家族を顧みず、娘の結婚式すらすっぽかした外面だけは良い園芸家が主人公。自分の農園が破産した後ふとしたきっかけで麻薬の運び屋となり、この仕事で得た対価でかつて自分が輝いていた環境へ投資をして、ちやほやされる生活にうつつを抜かす。しかし最後に自分に欠けていた最大でもっとも大切なピース、家族を取り戻すために彼は大きな決意をする。仕事は2番だっていい、しかし家族は1番じゃなければいけなかった
ラスト近くに裁判所のシーンで判決を言い渡された主人公に対して、娘が語りかけるシーンで、ボクは不覚にも涙してしまった。例え離れていても、大切なものとは思いがつながるということを、すうっとさりげなく描くイーストウッドの巧みな演出に脱帽した。
個人的には「ミスティック・リバー」のラストシーン、ケビン・ベーコンとショーン・ペンの無言のやり取り(ベーコンが指鉄砲の仕草をして、ペンが知らんぷりをする)と甲乙つけがたいお気に入りの場面となった。
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