2013年10月16日水曜日

ジャイアンツ強くて面白くない

 誰も読んでいないブログなので好き放題書き込めます!
 僕は生まれてこの方読売新聞と電電公社と東京電力と国鉄が大嫌いで、特に江川事件とか桑田問題とか小笠原にひげ剃らせたりとかジャイアンツは非常に嫌いです。日本人の一番嫌なところをぎゅっと凝縮したような社会的存在だと思います。
 電電公社はNTTに分割され、国鉄もJRで分割され、東電は間もなく潰れるかと思いますが、読売新聞が国家権力を背景に好き放題私物化しているプロ野球界でジャイアンツはまだまだ寄生していますね。
 ジャイアンツがなぜ寄生しつづけるかといえば、マスコミがジャイアンツ中心の報道姿勢を改めないからです。サッカーは川渕チェアマン時代にじいさんをねじ伏せて読売は破滅しましたね。ジャイアンツが今のままマスコミに乗せられていけば、プロ野球の末路は全日本プロレスですよ。ラッシャー木村ですよ!深夜にダイジェスト中継してお終いっていかがですか?
 その間にフランチャイズ化を着々と進めるパシフィックリーグの各球団は現在の機構と早々に手切れをして、真の日本野球機構を設立すべきです。正々堂々と。
 ショー化した野球ごっこだけGとTとDとYにさせておけばいいのではないでしょうか?力道山の空手チョップと同じレベルのショータイムを東京ドームで毎日やっていれば早晩滅びていく運命です。
マスコミいい加減目を覚ませ。

2013年9月8日日曜日

SNS- 実名投稿は結構いやです

 SNSのもっとも嫌なところは実名が表記されてしまうところ。
 ミクシーなどの、閉ざされたグループの中での交信には支障がないのかもしれないが、仕事上の付き合いのみの人に見られて、投稿内容についての感想を言われることなどが多々あり、閉口するわけであるのだ。
 だからGoogle+はやめた。twitterもニックネーム表記から正体を暴かれたのでやめようかなと考えている。
 
 
 設定の仕方に問題があるのかな? FBは思えばかなり閉ざした設定にしているので、そうした思いをしたことはない。
 やはり設定が悪いの?でもtwitterはネーム変えなきゃ、やってられないから、いったん親しい人との縁は切れることになる。
 個人的な日々の所感の交換をしたいというだけなので、広く仲間を広げていきたいといく趣旨でないところが間違っているのか?
 やだやだ、ほんとうにいやだ。サークルの中だけ見せるって設定にしてもGoogle+も、外部にみられてしまうのですよね。

2013年9月1日日曜日

時代が移り・・・

 今から8年前ほど昔になります。
 PDAというデジタル機器がありました。正確には『Personal Digital Assistants』の略称で、日本市場においては携帯情報端末などど称して、シャープが当時ビジネスマン向けに販売をしていたZaurus(ザウルス)なども、同様のカテゴリーの中に位置づけられていました。
 歴史は古く、そのカテゴリの発祥は1990年代初頭まで遡ります。PDAの概念をはじめに提唱したのは当時スティーブ・ジョブズ追放後のAppleにおいてCEOにおさまっていたジョン・スカリーという人物です。
 この方がアメリカのビジネス界において残した大きな足跡はペプシコの社長として、コカ・コーラとの販売競争に勝利を治めた(と、ペプシコ側はスーパーマーケット市場における販売実績をベースに一方的に勝利宣言をしたわけ)ことにありました。それはさておき、スカリーCEOはPDAを電子秘書もしくは電子執事的なところに定義付けをして、ユーザーが行おうとしている次の行為を予測して答え(必ずしも正解ではない)を用意する、という実に近未来SFのごとき成果を達成しようと試みたのです。。
 実際に商品として発売されたNewtonMessagePadは、液晶画面に手書きで書き込んだことの意味を察知するという、現時点においてもテクノロジー上おそらく商業ベースにおいてはクリアされていない技術を提供しようとしました。たとえばユーザが画面に、『マイケル』『12時』『グランドセントラル駅』と書くだけで、PDAはこれをスケジュールアプリに書き込み、マイケルのアドレス、グランドセントラル駅の住所を画面に表示してしまう、という優れものでした。理論上は。
 手書きメモの認識率でつまずきマスコミから酷評されNewtonとAppleの栄光は地に堕ちたのです。要するに当時のCPU能力では処理するデータが大きすぎており、理論通りの結果を得ることができなかったのです。またポケットに入れることはまず考えられない大きさも問題でした。(今のiPadminiに近いサイズで、かつ厚みは倍以上ありましたね)

 結局Newtonテクノロジーはジョン・スカリーを失脚に追いやり、その後ジョブズ復帰までのAppleの長く暗いスランプの時代に入る契機となってしまうのですが、PDAはまだ消滅したわけではありません。Newtonに取って代わって時代の寵児となったのは当時USロボティクス社から発売されていたPalmPilotです。完全な手のひらサイズで、グラフィティと呼ばれるアルファベットの一筆書きによりより早く、より正確にメモの入力が可能でした。実は僕も当時Palmにはまったクチで、紙の手帖が完全に不要になったほど、このグラフィティは便利で素早く文字入力ができるアプリでした。
 Palmはやがてスリーコムという会社に買収され、Palmアプリそのものは各ハードウェアメーカーに供給されました。
 1999年にはIBMからWorkPadが発売(香取慎吾がCMやっていました)、2000年にはソニーがCLIEの名称でメモリースティックスロット、ジョグダイヤルを備えたマシンを投入。やがてカラー機も投入されはじめました。時を同じくして、当然のごとくマイクロソフトがWindowsCEベースのポケットPCを発表、コンパック、デル、HP、カシオ、東芝、富士通がハードウェアを発売しました。
 PDA市場は活況の呈をようしてきたかのように思われました。が、繁栄はあまり長くは続きませんでした。
 Palmの最大の売り物はシンプルさにあったのですが、ソニーのCLIEによってフルカラー、ハイスペックカメラ、動画アプリ、無線LAN機能(現在では当然ですが、PalmはPCと接続することでしかウェブからの情報収集が不可能だったのです。なんだかばかでかいダイヤルアップモデムみたいのなのは発売されていましたが)の搭載などにより、CPU性能の向上、液晶のスペックアップにより価格も上昇し、決してシンプルな電子文具とは言えなくなってしまったのです。
 一方のポケットPCも非常に中途半端なofficeスイーツやメール機能など、あまりにパッとしない状況が続いていました。ウィルコムがWindowsCE搭載のPHSを発売して、一瞬盛り上がりましたが、いつのまにか消滅。PDAは終わったかに思われました。実はこのとき、PDAはまったく異なる市場で雌伏の時を過ごしていたのです。
Apple ipodです。この端末は単なる音楽プレイヤーではなく、ゲーム機であり、各種ユーティリティにより格段の使い勝手を発揮し、スケジュール管理、ウェブ接続、動画鑑賞などなど、多機能端末としての可能性を秘めていたのです。そのことが明らかになったのがiPodTouchの発売であり、iPhoneの誕生でした。その後の携帯電話、スマートフォンの活性状況については述べるまでもありません。
 10年前、一部のガジェット好きと一部のビジネスマンにのみ支持されていたPDAが、いまスマートフォンという姿で老若男女が手にする様を見るにつけ、時代の趨勢とジョブズの偉大さ(ぼくは決して信奉者ではないですが)を痛感する毎日です。