2021年4月30日金曜日

突然の発熱

驚いたことに、3日前外来受診で非常に採血データも良く、体調もすこぶる快適、病院の帰りに妻と久々の町場中華ランチをして、元気な楽しい1日を過ごしたその翌日。28日の午前中のウォーキング中に徐々に全身の倦怠感が生じて、帰宅後38度の発熱、悪寒に見舞われました。
ベッドに横になって安静にしていましたが症状がますます悪化し、体温39.7度になった段階でT病院の主治医へ電話してすぐに来るようにとの指示に基づき急行しました。

採血、CT撮影等の検査を経て緊急入院し抗生剤点滴を受け、翌日からは熱も下がり体調快適、食欲全開の状況に回復しました。
新型コロナ、腎炎等の疑いもありましたが胆管炎の可能性が高いとの診断です。生体肝移植を受けた患者は術後しばらくはこうした症例が生じることが多々あるそうです。
困ったものです。

しかし驚きました。

28日の午前中散歩中に碑文谷公園で撮影したバラです。





2021年4月22日木曜日

良い夫婦の日



 今日は『良い夫婦の日』(よいふうふ)

11月22日も『良い夫婦の日』(いいふうふ)

どっちがどっちか分かりませんね。まあいづれにしてもそれだけ夫婦仲が良い悪いは大きな関心事だということなのでしょうか?

ボクは勝手ながら、いつまでも一緒に花を愛でるような人生を過ごしたいと思います。どうぞよろしくお願いします🥺

2021年4月20日火曜日

未来はそんなに悪くない

「恋するフォーチュンクッキー」ってAKB48の曲が一世を風靡したのは、8年も前のことなんですね。懐かしいけど、街で学校で職場で歌い踊っていた人たちは、まさか2020年から2021年のこの時世を想像だにしなかったことでしょう。今日から緊急事態宣言発令です、言葉が重い。
「未来はそんな悪くないよ」というフレーズは、このコロナ禍にこそもう一度必要なのではないでしょうか。もう一度ブレイクして、もう一度みんなが一体となるべき時期だと思います。

 

2021年4月19日月曜日

春らしい日和です

   いかにも春らしい良い日和です。
今日はひさしびりに髪の毛を切りました。12月初旬に超短髪(いわゆる丸坊主頭)にして以来約4ヶ月ぶりです。さっぱりしました。

季節は花ざかりですね。相変わらず、こころは憂鬱ですが。

2021年4月18日日曜日

青天なれど心は陰鬱

 

外は晴れ渡り良い気候です。風は強いですがヒノキ花粉に弱い方以外は外出日和と言えますね。僕はといえば非常に陰鬱な日です。日曜は大抵陰鬱ですけどね。なぜなら何もないから。家族は昨日面会(入院しているわけではないですが週1回しか会えない、しかも昨日はほんの数十分だけ!)は終わっているし、かといって『今日は良い天気だから会いたいね』なんて誘うわけにもいかないし。みんな用事もあることだし。

本当のこと言えば、僕が電車で動けば良いのだけど、諸般の事情が許さない(おかね、コロナ)。PTA Dで観察している胆汁が出なくなったら腹部チューブも取れて自由の身になるのだけど、なかなか無くならない。当初は20cc以上出たりしていたのが、ここ数週間は20ccかそれ以下で安定している。激しい増減がない。

WEBで色々な医療機関のサイトを閲覧していると、突如出なくなることはありえないようで、大抵一定量で安定してきたところで、つまり「胆汁が十二指腸へ流れていっていることが確認」できたところで、抜去しておしまい、ということになるようなのだ。しかし僕の主治医は前回8日の外来受診の際に「全く出なくなったら抜去するよ」と語っていた。

次回27日(約1週間後)の外来診察時にこの点は質問して見るつもりだが、どうやら突如出なくなることはないようなので、とにかく早く抜去してほしい。

この煩わしさはチューブをつけられている身にならないと多分全く理解できないと思う。

シャワー浴びるのも保護したり大変、寝るのも寝返りできず全身凝るし安眠できない、チューブの通気孔から胆汁漏れたりするので養生もしないとならない、など頭がメチャクチャになるほど色々煩わしいのだ。

念のため、で付けている、念のためでこの薬飲んでおく、はもうそろそろやめて欲しいです。

本当に憂鬱です。

2021年4月15日木曜日

久しぶりで晴れわたった空です

 
 ウォーキングしていて花の綺麗な季節になりました。ドレナージの容器を小さくして歩きやすくしたおかげで、随分な距離を歩いても疲れることなくゆっくりできました。しかし隠居生活ではなく、あくまでリハビリです。ズンズン歩いて、ぐりぐりストレッチして一刻も早い社会復帰を目指したいものです。
 上の写真は日本大学水泳部の屋内プールです。池江璃花子さんが日々トレーニングしていることでマスコミ報道等でも有名なスポットですね。もちろん関係者以外、中には入れませんが、照明がついていましたので、練習中のアスリートが頑張っているんですね。コロナ禍の時節ではありますが、一人一人できることをやりながら次のステップ=コロナ後の世界へ向けて生きていきたいものです。

 

2021年4月13日火曜日

今年もメトロポリタン美術館展

確か去年も秋口から開催されていた

きっとこの頃には退院できるであろうと甘い憶測と期待をしていた時期である。実はこの時期がまさに家族に迷惑をかけながら生死を彷徨う頃となるのであるが。





世界三大美術館のひとつで、創立150年の歴史を持つニューヨークのメトロポリタン美術館。その西洋絵画コレクションから65点が来日する展覧会「メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年」が、大阪市立美術館と国立新美術館で開催される。会期は大阪展が2021年11月13日~22年1月16日、東京展が22年2月9日~5月30日。



 本展は、メトロポリタン美術館所蔵のラファエロ、ティツィアーノ、カラヴァッジョ、ジョルジュ・ド・ラ・トゥール、レンブラント、フェルメール、マネ、モネルノワール、ゴッホなど、誰もが知る画家たちの名作を展示。ルネサンスから19世紀までの西洋絵画史500年の流れをたどるものになるという。なお出品作品のうち46点は日本初公開となる。


今年は鑑賞できる、しかも大阪市立美術館で。確か中之島。

2021年4月12日月曜日

過ぎし日の桜よ

そういえば3月下旬に退院直後、満開の桜の下を散策していた頃の写真がたくさんあったことを思い出した。過ぎ去りし日の思い出に今更ながら2、3アップしておきます。



 

今朝のMicrosoftに関するニュース

 今朝のbloombergのビジネスニュースでMicrosoftの記事が。

「Microsoft、米音声認識大手を1.7兆円で買収へ 米報道」

ニュアンス・コミュニケーションという企業で、どうもiOSやMacのSiriの開発元らしい。
GoogleやFacebook、Appleが独占禁止法で調査されて足元が揺れている隙に、着々と足元固めをしていくつもりなのかな。

2021年4月11日日曜日

2021年4月9日金曜日

外来診察は無事に終わった


 昨日は外来診察でT大病院へ。(もっとも3日前にもPTADのチューブトラブルで赴いたのではあるが・・・)

外来診察のあとはそのまま入院、がこれまでのパターンでしたが、今回は主治医から「血液検査の数値も大変よろしいですね」と太鼓判。

入院セット用意していきましたが、あっけなく帰されました。病棟からのこの光景も見る必要は無くなりましたね。


あとはPTADを抜去する時期の問題です。PTADが出なくなること、といわれました。どう言う状態を指すのか尋ねたところ「瘡蓋ができるような状態」とのこと。人によって回復力が異なるので時期は何週間とは一概に言えないとの回答です。

昨年春の発症から10月の手術。長い期間かかっていますが、治療の終わりがようやく見えてきました。まあ、見えてきた。程度で視界の先は1ヶ月か半年か、はたまた1年か、不鮮明ではありますが。

それでも薄ぼんやりとゴールが見えてきたことは多少なりとも勇気づけられる光明です。


ちなみに今朝の体調は良好。

体温36.2、体重56.7kg、血圧良好

朝食ごはん2杯、さば煮付け、野沢菜漬、味噌汁


2021年4月3日土曜日

あれから1年


ほぼ1年前に大阪出張時にJAL機内から撮影した富士山ですね。最後の出張が4月2日から3日なのでその辺りの時期かもしれません。

2日は午後便で大阪入りして、夕方ホテルにチェックインする際にお腹が苦しくて、フロントのカウンターに寄りかかりながら手続きしたことを覚えています。この日は食欲もなく乾燥クランベリーを食べて眠ったのです。

翌日午前中大阪市内で打ち合わせがあり、午後東京へ戻って大阪から連れて帰ったスタッフなどと食事に出た際に、乾杯の生ビールを一口しか飲めずタクシーで帰宅。翌週月曜日の役員への事業説明の席上で体調不良を指摘され勤務先近くの総合病院へ行き即日入院しました。

ちょうど新型コロナウィルスの流行が始まり、4日間の入院ののちも在宅勤務を8月まで余儀なくされ、脳症をたびたび発症するに至って9月2日に本格的に入院加療・生体肝移植手術を受けることになったのです。

乾杯の生ビール一口しか飲めなかった時から、今日でちょうど1年です。

精神的にも、肉体的にも辛いこと、痛いこと、沢山ありましたが、家族と多くの人たちの支援によってなんとか現在の状況まで回復してきました。

ただひたすら感謝の日々です。

2021年4月2日金曜日

家族と過ごす貴重なひととき







家族と過ごすことを今ほどありがたいと思ったことはない。実は一人きりではない、すぐそばにいま一艘の糧があったことに今更ながら気が付いた。

 仕事を人生のすべてだと錯覚していた日常のなんと虚しかったことか。

乗り過ごして遠くの駅まで行ってしまい、家に帰ってもシャワーして眠りこけ、翌朝家族が目を覚ますかどうかの時間に出掛けていく日々は、今となっては、かけがえの無い家族との時間をムダにしていた訳で残念でならない。

結局それほどまでして仕事をしたことは単に自己満足に過ぎず、甘い水と眩惑して口にしていたアルコールは肉体と精神的な健康を蝕むだけであった。

いま、叶えられずとも家族と過ごす時間が欲しい、わずかであっても欲しい。こんなに大切なひとときが身近にあったことに気づかなかった自分の愚かさに呆れ果てる有様なのだ、

2021年4月1日木曜日

東海大相模センバツ制す













東海大相模おめでとうございます。

よくよく観戦していたわけではないですが、斜めみしていても、よくまとまったチームだなあという印象でした。妻の実家から徒歩圏内に学校があり、野球部の選手たちが練習かどうか歩いているのも見たことあるような記憶。

神奈川県民としても大変嬉しく思いますよ。
 

日本刀の痛み









 



Aゾンプライムビデオなどで古い映画や見ていて、美しい殺陣シーンに少々違和感がある。


 忠臣蔵にも幕末の動乱にも「鮮血」「血飛沫」のイメージがつきまとう。テレビの大衆時代劇にあらわれる殺陣は所詮作り物である。日本刀で人を切るということは鮮血が迸る身の毛もよだつ体験のはずである。海外映画でありながらクウェンティン・タランティーノの「キルビル」を観ることで、これは擬似体験できる。クライマックスの雪中の殺陣はまるで吉良邸討ち入りの再現である。思えばかつての東映のヤクザ映画における殺陣は、痛々しいほど肉体を切り刻んでいたものだ。


 武士が自裁せざるを得ない場合の手段として切腹があるが、これは介錯がついてまわる。ことに切腹が様式美となった徳川江戸時代には、公式の切腹の場では死に往く武士が上下の前を開き、刀に手を伸ばそうとするその瞬間に介錯人によって首級を落とされる。人間の首が切り落とされるということは、一体どれだけの血液が迸るのであろう。おそらくはほぼ体内の血液のほとんどが噴出することになるのである。


しかしもちろんそのようなシーンを映像化できるはずもなく、これは悍ましい現実として想像してみるだけである。現実はそれほど美しいものではないのだ。